レザー・アスラン著人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?(文芸春秋)を読みました。
信仰心の起源について書いてあったのでまとめてみました。
どういう本か
人類が<神>を生み出した歴史について書いてある本です。著者は一神教の神は<神>の概念が浅くいろいろと問題があると思っています。なので汎神論の勧めも書いています。
なお、<神>は一神教の神、多神教の神などを包含する意味のもっと広い意味での「神的なもの」として本書の中で使われています。
本書は、どのように<神>を人格化してきたかという歴史を綴るだけでなく、私たち人間の神的存在に対する妄念の介入を抑え、もっと汎神論的な<神>観[<神>と森羅万象、または<神>と自然とは一体であるとみなす哲学的・宗教的概念]の展開に読者を誘うつもりである。一つの<神>を信じるか、多数の<神>を信じるか、あるいはまったく<神>を信じないかのいずれであっても、<神>の似姿をイメージしてきたのは私たち人間であって、その逆ではない。まさにその真理こそ、いっそう成熟した、ずっと平和的で、この上なく本来の人間らしい心の世界(ルビ スピリチュアリティ)のありようを探る手掛かりがある。
人類はなぜ<神>を生み出したのか? p13
信仰心の起源
この本の中で一番面白いと思ったのは「信仰心の起源」についての説明です。本書の中では「心の理論」という説を使って説明しています。
「心の理論」とは何か
ウィキペディアには以下のように書いてありました。
心の理論(こころのりろん、英: Theory of Mind, ToM)は、ヒトや類人猿などが、他者の心の状態、目的、意図、知識、信念、志向、疑念、推測などを推測する心の機能のことである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96#cite_note-1
つまり、他者の心理を推測する心のはたらきのことのようです。
本書の中では以下のように説明されています。
「心の理論」とは、私たちが自分自身に対するのと同じように、他人を見たり理解したりする能力をもたらす脳の執行指令機能のことである。つまり、個々別々の人間も基本的には同じような考え方をし、本質的には同じ存在と考える。(中略)自分自身を基本的なモデルとして、他のすべての人もみな同じようなものだという考えを助長させる。
人類はなぜ<神>を生み出したのか? p59
ウィキペディアでは「他者の心理を推測する心のはたらき」を「心の理論」と言っていますが、何かを推測するにはその手がかりが必要です。本書の中ではそれを「自分の心」としているようです。自分の心を手掛かりにして他者の心理を推測。つまり本書の中では「自分が思っているように他人も感じるだろう」ということまでを含めて「心の理論」といっているようです。
「心の理論」は人間以外にも機能する
「心の理論」で驚くべきなのは、相手が人間でなくても、人間的な特性を持っていさえすれば、私たちはその存在を人間と同じように知覚してしまうことである。たとえば、頭と顔のようなものを持つ二本足の存在と出くわしたら、私たちは「こいつは自分に似ている」と思う。外見が似ているなら、「心の理論」によって、それは自分に似た存在のはずだと考える。するとその人間的な存在に対して、私たちは人間ならではの考え方や感情を当てはめる。
人類はなぜ<神>を生み出したのか? p59
相手が人間でなくても人間のように見えるものに対しては「心の理論」がはたらくと本書では言っています。つまり人間のように見えるものに対してそれらにも「人間のような感情」があるのではと感じてしまうようです。
例えば「バス停の標識」も人間のように見えなくもない w。寒風に吹きさらされているその姿を見て「あいつも寒いのに大変だな」と思うのは「心の理論」が「人間のように見えるもの」に対して機能したと言えるのでしょう。
人間でなくても魂(こころ)があると考えてしまう
「心の理論」に従えば、彼女は、ほかの人もみな、自分と同じように魂を持っているに違いないと信じていた。だが「心の理論」は、イヴが人間の特徴をしめしている人間でないものを、実際の人間を見る時と同じように見てしまう傾向があるとしているために、彼女はある種の生き物でないものにも魂があると考えても少しも不思議ではないという。
人類はなぜ<神>を生み出したのか? p60,61
引用の中での「イヴ」とは今から何万年(何十万年)も前の狩猟採集時代(そのころに信仰心が発生したのではないかと推測)に生きていたある一般的な一人の女性のことです。
本書の中ではそのイヴが、自分に魂(こころ)があると思っていれば、「心の理論」によって人間のように見える人間以外のもの(例えば樹木)にも魂(こころ)があると思ったのではないかと言っています。
そうするとどうなるか?
幹が人間の顔のように見える木(樹皮の模様や幹の洞などが顔のように見えたのだろう)を見つけたイヴが何をしたかについての引用です。
彼女は樹木に魂を与える。たぶん、彼女は燧石性のナイフを取り出し、木の幹が顔らしく見えるように彫り込みを入れる。顔を描くわけではない。洞窟の中の画像と同様、イヴは自分がすでにそこにあると思い込んでいる顔を思いのままに彫り出したに過ぎない。彼女はその樹木を、崇拝の対象としてトーテムにする。彼女はそれに供物を捧げ、獲物がかかるように助けてくれと祈り始めるかも知れない。宗教とは、こうした偶然から生まれるのだという。
人類はなぜ<神>を生み出したのか? p61
イヴは幹に人間の顔のような模様を持つ木に魂(こころ)を感じました(「心の理論」によって)。
樹木が魂を持つと思ったイヴはどうしたでしょうか?
樹木は人間ではありません。森の中で自分が生まれるずっと前から生きています。「人間の知らないことを知っているかもしれない」そう思ったイヴはその木にお供えをして「食べるものに困らないよう獲物がいっぱい捕れるように」になどと祈り始めた(信仰心の芽生え)かもしれないと本書では言っています。
信仰心の起源の一連の説明は説得力がありそうです。
納得した
「心の理論」と自分に魂(こころ)があると思うことを組み合わせれば、人間は「もの」にも魂があると思うようになるだろうと本書では言っています。そこから進んで信仰心のようなものが生まれるという説明にも自分は納得しました。
これは人類が魂(こころ)を自覚したときに信仰心が発生したと言うことができるのではないでしょうか?さらに飛躍してチンパンジーも魂(こころ)を自覚すれば信仰心が発生するともいえるのではないでしょうか?人間が知らないだけでもう信仰心を持っているチンパンジーがいるのかもしれません。
この記事は以上です。