手書き作家という絶滅危惧種

読書
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孤独論 逃げよ、生きよ」 を読みました。芥川賞作家の田中慎弥さんの本です。以下にその感想を書きました。

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不思議な浮遊感

読書中はずっと、ふわふわと空中に漂っているような感じだった。無音の空間の中に。

その空間の中で50年位前に生きていた人の話を聞いているような感じ。

といって、田中さんが時代遅れとか時代錯誤とかいうことではなくて、50年位前に生きていた人がタイムマシンで現代にやってきて現代社会を正確に捉え、そのイメージを語っている感じ。

普遍的な話を聞いている感じさえ抱いた。全体的に抽象的な表現が多く、それがこの不思議な浮遊感と、普遍性を生み出しているのだろう。

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絶滅危惧種

私はいまや、絶滅危惧種です。どんな種か。「手書き作家」という名のそれです。

「孤独論 逃げよ 生きよ」 p47

田中さんは執筆にパソコンを使うのでなく、原稿用紙に鉛筆で書きつけるというスタイル。

パソコンは持ってないし、デジタル端末の類も何一つ所持してないという。もちろんネットにも繋がってない。

先人の顰にならって、というのでなく、ただなんとなく、わたしは手書きでやっているのですが、別段不便も感じず、これからも絶滅危惧種であり続けると思います。文字を刻み込むような実感、身体を使って言葉を産み落とすような感覚がむしろ、小説を書くうえで自分にはしっくりくるようです。”

「孤独論 逃げよ 生きよ」 p47
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ネットがなくても情報通

インターネットのレコメンド機能は非常に強化されているようです。あなたがいま欲しがっているものはこれですよね?あなたの味覚にあった料理はこれで、趣味にあった書籍はこれで、体調にあったサプリメントはこれで…と行った具合に頼んでもいないのに、これまでの購入履歴や閲覧記録から弾き出して勝手に教えてくれる。

「孤独論 逃げよ 生きよ」 p54

スマホすら持ってない人がこれほどネットのことを詳しく知っていると知り驚いた。

スマホを持ってないのだから、田中さんの得ている情報は、書籍、雑誌、新聞、テレビ、人の話からだろう。

これはネット出現以前の情報を得る手段だ。これで十分に今の世の中で起こっていることを捉えられるということなのだろう。

ネットがないと、現代の世の中について十分な情報が得られないと思っていたので、少し衝撃だった。自分もネットの使い方を見直そうかと思った。

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身体で書く作家

わたしはパソコンに触れること自体ほぼなくて、原稿用紙に鉛筆で小説を書いている。手を動かしてかりかり書きつけていると、身体の中から言葉が出ているように感じるときがあります。どうやらわたしにとって小説とは頭でというよりも、身体で書くもののようです。頭で書ければそれが一番いいのですが、謙遜ではなくて、わたしは頭のいい知的な人間ではありません。

「孤独論 逃げよ 生きよ」 p57

田中さんは、自分の身体の感覚、実感を重んじる。本のどこかで、体の声を聞けともあった。身体で小説を書く作家。

現代社会はデータ化されたものを重んじる。

端的に言うとPC上でのファイルとして扱えるもの。動画ファイル(mp4)、テキストファイル(txt)、表計算ファイル(xlsx)など。

目や耳で認識できるものを重要視する世の中になっている。

田中さんの執筆はデータ化できない。鉛筆と原稿用紙を使って、身体から紡ぎ出す。

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無駄も大事

あと、無駄とか非効率とかも大事だよと書いてあった。

現代社会は無駄、非効率を毛嫌いする。

同じことをするならできるだけ速くやるのがいいとされるし、できるだけコストをかけずにやるのだいいとされる。

それも大事なことだが、社会の全般をこの物差しだけで判断していくとおかしなことになる。

自分も知らないうちに、効率重視の思考になっていた。それも大事だが、万事その調子だけだと疲れてくと思うようになった。

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身体の声を聞け

田中さんはメジャーリーグが好きでテレビを見るようだ。

メジャーリーガーの柔らかな、滑らかな身のこなしに惚れ惚れとするという。力みの抜けたプレーに魅了されるという。

身体で書く作家は、自身の身体の声を聞くことができるが、他者であるメジャーリーガーの身体の声も感じ取ることができるようだ。

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自分自身の感覚を大事にする

初めて田中慎弥さんの本を読んだが、面白かった。

身体の外にある情報に踊らされるのでなくて、自身の感覚、意識をもっと大事にして生きろというメッセージ。それが本書。